『ことわざに反論してみた』について

諺(ことわざ)とは、鋭い風刺や教訓・知識などを含んだ世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉……らしいのですが、「んなワケねぇ~だろ」と思ってしまうことも しばしば。

いつの時代の誰が、どんな社会的な背景のもとで最初に言ったのかもわからない。そんな言葉を“さも得意げに、これが真理だと言わんばかりの顔で使う”のは、賢い人のすることじゃないのでは? そもそも、教養的な扱いをするほどのものなの? といった想いから、ちょっと反論したのが当ページです。基本、難癖つけているだけなので、論破はしていないです。

「ことわざ」で反論されている「ことわざ」

三人寄れば文殊の知恵

特別に頭の良い者でなくても、三人集まって相談すれば何か良い知恵が浮かぶ。なお、文殊は文殊師利菩薩が由来。

指示する人が多いために統一がとれず、見当違いの方向に物事が進むこと。

心理学の見地から反論するなら、「プロセスの損失」を語ることになります。結論から言えば、グループで遂行するとメンバーの平均より結果は上回るが、最良メンバーの水準には達しない。例えば、メンバー内のバカが「俺一人でやるより、良いアイデアが出た」と思っている横で、もっとも優秀な人が「一人でやった方がマシだった」と思っているような状態。これは個人レベルの行動の結果と、グループレベルでの共通結果を元に出されたものです。詳細は専門のページで。

善は急げ

良いと思ったことは、ただちに実行するべき。

何事も焦ってやると失敗しがちだから、急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒め。

両者を合わせれば「善は慌てず急げ」になります。ヨーロッパの格言「ゆっくり急げ」みたいですが、そちらは「良い結果により早く至るためには、ゆっくり行くのが良い」という高難易度要求。そんな器用なことができるなら、急がずとも上手くやれるんじゃないの……。というか、実際に急がなくてはいけないのは、良いことよりも悪いこと。ほら、法律で取り締まられる前に、稼げるだけ稼いでおけって言っていた人がいるじゃないですか。

三度目の正直

物事は一度目と二度目はあてにならないが、三度目なら確実であるということ。

……っていうか、三度目でうまくいく根拠は何? 一度目と二度目に失敗する根拠は? うまくやる奴は最初から成功するし、ダメな奴は同じミスを繰り返すもんじゃないの? 二度あることは三度ある? そりゃ、確率なんてものは常に“ある”さ。

渡る世間に鬼はなし

世の中には無慈悲な人ばかりではなく、親切な人もいるということ。

他人は信用できないものなので、人は軽々しく信用しないで疑ってかかれというたとえ。

人間なんて、余裕のあるなしで親切にも不親切にもなりますよ。何があっても不親切な人もいますし、裏があるから親切な人もいる。親切な人に会えた人は「渡る世間に鬼はなし」と言い、会えなかった人は「人を見たら泥棒と思え」と言う。自分の人生で得た教訓が、誰の人生にでも当てはまると思わないことですね。まぁ、鬼は伝説・伝記上の妖怪だから、生物学上はいるわけないけど。

二兎を追うものは一兎を得ず

同時に違った二つの事をしようとすれば、結局どちらも成功しないというたとえ。

一つの行為から二つの利益を得ること。

両方、英語のことわざ由来だったはず。海外のことわざで対になっているのに、日本じゃウサギと鳥の数え方が同じのが面白いところ……個人的には。よく対にされているので反論にしていますが、目的としては一石二鳥も一つであり、結果的に二つの利益になっているだけ。なので、違った二つの事をしようとしているワケではない。「人間の脳はマルチタスクをするようにはできていない」としても、今はコンピュータがありますから、道具さえ使えば幾らでも追えます。

鳶が鷹を生む

平凡な親がすぐれた子を生むことのたとえ。

子は親に似るものだ。平凡な親からは非凡な子は生まれない。

この手の“たとえ”に反論するのもアレですが、人間から犬は生まれません。犬の子を孕んだとしたら、それは南総里見八犬伝。バカから秀才が生まれたとしても、秀才になるように育てたのは誰なのかという話もありますし、何より現代では家庭の経済力格差が学力に大きく影響しています。

同じように、仮に鳶が鷹を生んでも、鷹が生んだ鷹には勝てない。鳶には鳶の育て方しか備わっていない。この差は大きい。その時点で、鳶から見れば凄い子だけど、鷹から見れば雑魚かもよ。

鳥に関しては、生んでない子を育てるケースもあるけどね。カッコウは、オオヨシキリ・ホオジロ・モズ等の巣に卵を産んで、子育てを丸投げしています。おまけに、そのヒナは育ての親の実子よりも早く孵化し、孵化前の卵を壊す始末。コイツは酷い。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」と似たようなのに「蛙の子は蛙」がありますよね。これに対する反論は想像がつくかと思いますが、「蛙の子は、オタマジャクシだっつーの」ってね。

果報は寝て待て

人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということ。

何もしないでは良い結果は得られないことのたとえ。

「果報は寝て待て」は寝てれば幸せが来るみたいに言われているので、「蒔かぬ種は生えぬ」が対のものとして使われていたりしますが、実際には「やることやったら、待つしかない」って話。何もせずに寝るわけじゃない。しかし、寝てるよりだったら行動した方がいいでしょう。「幸せは歩いてこない だから歩いて ゆくんだね」by 水前寺清子

好きこそものの上手なれ

好きな事にはおのずと熱中できるから、上達が早い。

下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。

よく対になっているので挙げていますが、「下手の横好き」が上手になる過程だとしたら話は変わりますよね。ぶっちゃけ、好きなものにもよるし、人の向き不向きもあるでしょうけど。カラオケ好きなんて、ピンからキリまでいるじゃない。

立つ鳥跡を濁さず

立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。

当面のことさえうまくいけば、あとはどうなろうとかまわない。

そんな鳥、いねぇ~よ。降り立った時点で迷惑。病気は運ぶし、糞は落とすし、鳴き声はうるさいし、農作物は荒らすし、困った場所に巣は作るし……。なんで金をかけてまで保護しきゃいけないの? 絶滅するなら、さっさとすればいい。生物多様性の保全? 自然淘汰されるのも生物の宿命。散らかしたゴミは片づけた方がいいけど、ホテルは綺麗に掃除しすぎると困るみたいだよ。ほら、使ったかどうかわからなくなると、雑な掃除人は「使ってないな」と思って掃除しないもの。次に来た人が使用済みを使う羽目に……。

溺れる者は藁をもつかむ

とても苦しんだり、困ったりしたときや、切羽詰まった状況の時には、助かりたい一心でどんなに頼りないものにもすがりつき、救いを求めることのたとえ。

鷹はどんなに飢えても穀物は食べない。高潔な人は、どんなに困っても、道理に合わない金品は受けないことのたとえ。

藁を馬鹿にしちゃいけない。使いようによっては、いろんなことができる。何か例はないかって? 「わらしべ長者」はどう? ちなみに、水難事故時は「浮いて待つ」のが正解らしい。手や顔を水面から出そうとして体が垂直になるより、全身で浮くことを考え、口が上に向くようにして救助を待ちましょう。

危ない橋を渡る

目的を達成するために、危険な手段をあえて使うことのたとえ。

堅固に見える石橋でも、安全を確かめてから渡る。用心の上にも用心深く物事を行うことのたとえ。

危ない橋なら、直せよ……。別の手段を考えろよ……。あと、検査ハンマーで叩いて異音確認できるんだから、叩くってのは悪い方法じゃない。慎重すぎる人や臆病すぎる人に対して、皮肉をこめて使っているのを見たら、「あの人の頭の検査基準は緩々だな」とか思えばいいんですよ。あと、性格の悪い石橋さんは叩いてみたいね。

「ことわざ」に反論してみた

出る杭は打たれる

頭角を現す人は妬まれたり、憎まれたりする。出過ぎたことをして非難され、制裁を受けることのたとえ。

能力のある者を妬んだり、憎んだりする奴に「出る杭を打つ」ほどのことは出来ない。せいぜい、足を引っ張るだけ。程度が低いから妬んだり、憎んだりする。それに、微生物の多い土に埋まっている方が腐りやすいので、腐った杭で人生を終えたくないなら出た方がいい。

塵も積もれば山となる

塵のようにわずかなものでも、積もり積もれば山のように大きくなること。

風が吹けば飛んでしまう塵では、山ほどの高さを維持できるとは思えない。所詮、塵である。もっと積もりそうなものを気にした方がいいのでは?

海老で鯛を釣る

小さな投資や労力で大きな利益を得ることのたとえ。

常々思っていたけど、鯛って美味しいかな? 他の魚の方がよくない? 鯛が良いってのは、魚は脂の少ない淡白なものが上品だとされていた頃の名残りじゃないの? 江戸時代中期でも、秋刀魚が捨てられていたくらいだもの。

腐っても鯛

すぐれたものは多少悪い状態になっても、本来の価値を失わないというたとえ。

食べられなくなった食品に価値はない。腐った魚なんて傍に置いていたら、トリメチルアミン尿症(魚臭症候群)になっても気づかない。細菌の概念すらない時代の意見なんて、真に受けても仕方がない。

反論したくない「ことわざ」

老いては子に従え

年をとったら出しゃばったり我を張ったりず、何事も子に任せて、これに従っていくほうがいいということ。